ぽかぽか

つくらず、飾らず、つらつら、自由に

死はやさしいものでいい

 

昨日、例の研修を受けましてね

あ、看とりのです。

エンゼルケアを学びなおす

〜看とりってなんだろう〜

という研修で。

 

いくつか響いたことを

書いておこうと思います。

 

まず、死後の処置について。

 

今はだいぶ減ってきているようですが

わたしが新卒の頃に教わった処置のアレコレ

当時は何の疑問も持たず

正しく行わなくては…と実践していたけれど

 

今の自分になって、

ひとりひとりの利用者さまと向き合う中で

これ、意味があるのかな〜?て

いろいろ疑問に思っていたんですよね。

 

そうしたら

やっぱり無意味なようでした。

 

明治期

伝染病患者さんの死亡時への対応として

始められた方法が形骸化され、

マニュアル化されていったんだそうです。

 

え。

そのあと、一度も見直す機会はなかったの?

誰も疑問に思わなかったのか??

 

そーーーとーーー衝撃でしたけど

"無意味だ"というところは

かなり腑に落ちました。

 

ご家族に寄り添っていないもんね。

ご尊体の尊厳を損ねるカタチになること

あるものね。

 

昨年から続いている

入居者さまのご逝去ラッシュ

お身体を綺麗にさせていただくことが

何度となくあったんですけど

 

新卒の頃に習った方法ではなく

自分の心で思うカタチ、やり方に

少し変えてやっていたんですよね。

 

それで合ってたんだ。

人間的でよかったんだ✨

 

これがわかったこと

すごく大きな収穫でした。

 

亡くなられたお身体を綺麗に整えること

ご家族の方々の癒しでもあると思うんです。

 

だからこそ、不自然な処置は行わず

見た目が損なわれないよう

必要最小限の処置だけを、丁寧に行う。

 

それだけでいい。

 

そしてね、ご家族にも参加していただくこと

もちろん、無理強いはしませんが

必ず声をおかけします。

「一緒に整えますか?」

 

死別の喪失を受け入れるには、

ご尊体をみて、ご尊体に触れることが

とても重要なんだって。

 

事故や災害でご遺体に会えないとき

人は、どこかで生きているかも知れない…て

希望を持ち続けたいもの。

諦めきれない思いが、くすぶっちゃうよね。

 

だからこそ

お身体に触れ、かかわることは

関係性を反芻し、関係性を深め…

死を受容していくプロセスとして

とても大切な時間。

 

日本人の死者儀礼の特徴は

遺族が頻繁に遺体に接すること

なんだって。

※『対象喪失の看護ー実践の科学と心の癒し』

 (中央法規出版

 

まだ残っているぬくもりを感じながら

生前の思い出など話しながら

お身体に触れ、整えていく…

そのプロセスが死の受容につながり、

癒しにもつながっていく…

 

別れは悲しいけれど

死はやさしいものであっていいと思うんです。

 

ありがとう

お疲れさま

よくがんばったね

ごめんね

一緒の時間を過ごせてよかった

 

そんな思いを伝える場。

 

看とりという

生と死が交わるときだからこそ

ひとつひとつの思いを大切に

ひとつひとつに、心を込めて

カタチにしていこうと

心を新たにいたしました✨

 

明日へ続きます

 

 

ぽかぽか